2015年7月31日金曜日

パーソナル冷蔵庫を求めて

今日は冷蔵庫を買いに
電気屋さんに出かけたわ。
長年使った大型の冷蔵庫が
ここにきて機能しなくなったの。

連日酷暑が続いているので
堪らず出かけたわけ。。
パーソナル用の小型を
注文したわ。

今年はいろいろ故障するわ。
春先は、ビデオカメラ

そしてパソコン
ブルーレーレコーダー

にプリンターと
続けて、、
全部無料になったからいいけど
今回だけは予期せぬ出費となったわ。

酷暑、余計ヒートアップしそうよ。



あれ、文字化けよ、、、

さっき、ベッドで、
今朝修正した鹿児島神宮のメニュー
開いたら、、、

あれ、修正してアップしたのに。。
文字化けよ。。

実は、一昔前に作成したホームページ
ベースはUNIXの文字はEUCなの。

最近はスマホでご覧になる方が多いのだけれど、、
どうもシフトJISのようね。
だからデリミタ処理しないと文字化けするのよ。

再度、修正してアップして
一応、iPadで確認したわ。
私、携帯電話所持していないから
スマホでの確認は出来ないけど。。
どうかしら。。


修正したのは「鹿児島神宮」のメニュー







酷暑・高千穂の峯登山

出かけたわ。
長雨で、なかなか登れなかった山。
いつもの7時前のバスで、岩崎ホテル乗り換えで
高千穂河原到着が9時半。

準備して御鉢~鞍部~山頂で11時過ぎ、
函館からお越しの親子の方に
持参したマップや飲料水ら差し上げて暫し談笑を。

途中、小学校5年生の団体さんに。。
暑い中、皆一所懸命だったわ。
遅い者を庇いながら、皆で山頂へ
到着はお昼だったわ。
なんでも麓の御池キャンプ場でキャンプ中とか。
どこの方か聞き漏らしたわ。

山頂は、立ってると、背中を流れる汗が
ひんやりして肌寒く感じたわ。。

でも河原へ降りたら、、暑かった。
下の丸尾では最。。。
バス停のベンチ、丸でフライパンね。
火傷しそうだったわ。。
いつもならここでバスを1時間近く待つのだけれで
とても、、、
早目に涼しい処へと、塩浸温泉へ。。

でもここも風が無かったわ。
おまけにムシムシしてるの。。
シフトクリームを頂いたけど効き目なしね。

近くの方が送って下さることになって
5時頃まで足湯で時間を潰したわ。
早く起きたのでちょっと眠たかったけど
それがなかなか。。。
せせらぎが、、、渓谷に反射してここでは騒音ね。
いや~煩かったわ。大声を出さないと聞こえないのよ。。

静寂な渓谷の龍馬史跡公園
逆効果よ。。

送って頂いて帰宅は6時前だったわ。
身体中が日焼けで火照っているわ。
冷水で身体を拭いてクリームを塗って、、、
扇風機を全開にして、、、
いや~暑いわ。。室温は36度。。
汗が流れ落ちるわ。。。


今日は、山頂での束の間の「涼」だったわ。



2015年7月30日木曜日

久々霧島・高千穂峯登山

今3時前、
アンジュルムの録画したほやほやのPVを
視聴しながら、、、
新人賞を取った頃の映像ね。。
懐かしいわ。。
ちょっと体調が今一つだけど
これで元気百倍ね。

いつものように7時前のバスで
出掛けるわ。

身体中に湿布して就寝したから
これから身体を拭いてさっぱりしなきゃ。。


昨日の空模様では、
山頂からの展望がちょっと心配だけど、、
桜島や錦江湾を展望できると嬉しいけど。



2015年7月29日水曜日

深夜、喉が渇いて、、朝一でお墓参りに。

深夜目が覚めたわ。
暑いわね。喉がカラカラよ。
冷ましたお茶を頂いたわ。。

深夜の水

で思い出すのは父のことね。

ある夜、父が呼の。。

どうしたの?

水が飲みたい。。。

私は疲れもあってぐたって
無神経に
「深夜だわ、、、明日ね」
って断ってしまったの。。

あの時が、最初で最後の哀願だったわ。。

心残りよね。。

喉が渇いて水が欲しくなると
その時の後悔が過るわ。。


明日はその父の月命日だけど
霧島登山の予定なので
今朝一番でお墓参りに出かけたわ。。
持参したお茶を差し上げたわ。

一旦帰宅してお買い物に。
途中で望んだ霧島・高千穂の峯は
雨雲で覆われていたわ。

明日、どうしようかしら。。
お天気が芳しくないなら、、

池巡りにしようかしら。。


2015年7月28日火曜日

霧島と権現信仰 性空聖人


今日は、午後から
2週間おきの診察に出かけるわ。

そして明日の霧島登山用に
バスの周遊券を駅で購入しましょう。

これから、登山用具を干して準備しましょう。

明日は、霧島の高千穂の峯の予定よ。
実は、えびの高原から、硫黄山を通って
韓国岳への一般ルートを予定してたのだけれど、
昨夜のテレビのニュースでは、
その硫黄山がまた地震が多発傾向にあるらしいの。
それで急遽、高千穂の峯へ。。
調子が良ければ、久々に東神社の方へ下山したいのよ。

神社の麓の御池には、霧島権現信仰の開祖
性空聖人
が修行された祠(巌窟)があるの。
参拝したいと願ってるのだけれど。。。




書寫山性空聖人語第卅四

今昔、幡磨ノ國ニ、餝磨ノ郡、書寫ノ山ト云所ニ、 性空聖人ト云フ人有ケリ、 本、京ノ人也。従四位下橘ノ朝臣善根ト云ヒケル人ノ子也、 母ハ源ノ氏。 其ノ母、諸ノ子ヲ生ムニ、難産ニシテ不平ズ。 而レバ、此ノ聖人ヲ懐任セルニ、 流産ノ術ヲ求テ毒ヲ服スト云ヘドモ、 其ノ驗无クテ遂ニ平カニ生レリ。 其ノ児、左ノ手ヲ捲テ生タリ。 父母恠ムデ、強ニ開テ見レバ、一ノ針ヲ捲レリ。 児、嬰ノ時、乳母、此レヲ抱テ寝タルニ、驚テ児ヲ見ルニ、无シ。 驚キ騒テ求ルニ、家ノ北ノ墻ノ邊ニ有リ。 父母、此レヲ恠ム。幼稚ノ時ヨリ、生命ヲ不殺ズ、人ノ中ニ不交ズ、 只、静ナル所ニ居テ、佛法ヲ信ジテ、出家ノ心有リ。 然ドモ、父母此レヲ不許ズ。十歳ニ成ルニ、 始メテ師ニ付テ、法花經八巻ヲ受ケ習ヘリ。 十七ニシテ元服シテ、 其ノ後、母ニ随テ、日向ノ國ニ至ル。 遂ニ本意有ルニ依テ、 二十六ト云フ年、出家シテ、霧嶋ト云フ所ニ籠テ、 心ヲ発シテ、日夜ニ法花經ヲ讀誦ス。 而ル間ニ、忽ニ、 食物絶テ、幽ナル菴ニ居タルニ居タルニ、 戸ノ下ニ自然ラ煖ナル餅三枚有リ。 此レヲ食テ日来ヲ經ルニ、飢ノ苦ビ无シ。 而ル間、霧嶋ヲ去テ、 筑前ノ國背振ノ 山ニ移リ住ス。卅九ト云フ年、法花經ヲ空ニ思エヌ。 初メハ山ノ中ニ人无クシテ、心ヲ澄シテ經ヲ讀ム間、 十餘歳許ノ児童等来テ、同ジ座ニ居テ、共ニ經ヲ讀ム。 亦、老僧ノ、形凡ニ非ザル、来テ、一枚ノ文ヲ聖人ニ授ク。 聖人、左ノ手ヲ以テ此レヲ取ル。 老僧、耳ニ語テ云ク、「汝ヂ法花ノ光ニ被照テ等覺ニ可 至□□□云テ、失ヌ。 亦、後ニハ、弟子等少□出来テ有ル間、俄ニ、 十七八歳許ノ童ノ、長短ニテ身太クテ力強ゲナルガ、 赤髪ナル、何コヨリトモ无ク□□□、「聖□□仕ラム」ト云フ。 聖人、此レヲ置テ仕フニ、木ヲ切テ運ブ事、 人四五人ガ所□安□□翔マフ、道ヲ行ク事モ、 百町許ノ道ヲモ二三町ノ程行カム樣□、即チ返リ来ル。 他ノ弟子等、「此レハ極タル財也」ト思フニ、 聖人ノ云ク、「此ノ童ハ、眼見極テ怖ロシ。 我レ更ニ不好ズ」ト。 然レドモ、如此クシテ既ニ月来ニ成ル間ニ、 此ノ童ヨリモ今少シ大ナル童ノ、本ヨリ仕ル有リ、 小事ニ依テ、此ノ童ト戰ヒ合テ、 此ノ今ノ童ヲ罵レバ、今ノ童、嗔テ、 本ノ童ノ頭ヲ手ヲ以テ打ツ。 一拳打ツニ即チ死ヌ。 其ノ時ニ、弟子等、寄テ抑ヘテ、面ニ水ヲ灑ク程ニ、 良久クシテ生還ヌ。 聖人、此レヲ見テ云ク、「然レバコソ不用ノ童トハ云ヒツレ。 吉ク此レヲ不知シテ讃メ合ヘル也。 然レバ、此ノ童有テハ、尚、悪キ事有ナム。速ニ出ネ」ト云テ、 追ヘバ、童、泣テ云ク、 「更ニ不可出ズ。出デハ重キ罪ヲ蒙リナムト」云テ、 辞ブト云ヘドモ、 聖人、強ニ追テ出シツ。 其ノ時ニ、童出ルニ、泣テ云ク、 「君ノ『懃ニ仕レテ』ト遣シタレバ参タルヲ、 強ニ追ルレバ、待チ受テ必ズ罪有ラムトス」ト云テ 、泣々ク出ツ、ト見ル程ニ、掻消ツ樣ニ失ヌ。 弟子等、此ヲ恠テ聖人ニ申シテ云ク、 「此レハ何ナル者ノ如此クハ申スゾト。」 聖人ノ云ク、 「我レ、心ニ叶テ輙ク被仕ルヽ者ノ无ケレバ、毘沙門天ニ、 『然ラム者、一人給ヘ』ト申シヽニ依テ、 實ノ人ヲバ不給デ、眷属ヲ給ヘル也。煩ハシキ者ナルニ依テ、 『久ク有テハ由无シト』思テ、返シツル也。 但シ、房ノ内ニ、人恐レヲ成ス事ヲバ不令至ジ。 此ノ故ヲ不知ズシテ戰ヒ合テ被打殺ルヽ、極テ愚カ也」ト。 其ノ後、聖人、背振ノ山ヲ去テ、幡磨ノ國、 餝磨ノ郡ノ書寫ノ山ニ移テ三間ノ菴室ヲ造テ住ス。 日夜ニ法花經ヲ讀誦スルニ、初メハ音ニ讀ム、後ニハ訓ニ誦ス。 舌ニ付テ早キニ依テ也。 然カ訓ニ誦スト云ヘドモ、其レモ吉ク功入テ、 入ノ四五枚讀ム程ニ、一部ハ誦シ畢ヌ。 山□□禽獸馴レ睦テ不去ズシテ、聖人食ヲ分テ与フ。 身ニ[キササ]・虱不近付ズ、全ク嗔恚ヲ発ス事无シ。 當國・隣國ノ老少・道俗・男女、皆、来□□ 歸依ズト云フ事无シ、世靡テ貴ブ事无限シ。 □□間、圓融院ノ□皇、位ヲ去リ給テ後、重ク煩ヒ給フ事有リ。 其ノ時ノ、止事无ク驗 有ル僧共、皆、参テ祈リ奉ルト云ヘドモ、露其ノ驗无シ。 然レバ、人々有テ、申シテ 云ク、 「書寫ノ山ノ性空聖人、年来ノ法花ノ持者トシテ、 驗、世ニ、彼レニ過ル者不有ジ。 然レバ、彼レヲ召シテ可令祈キ也」ト。 此レニ依テ□ト云フ兵物ヲ召シテ、彼ノ山ヘ遣ス、 「辞スト云フトモ慥ニ召シテ可将参シ」ト。 然レバ、院ノ召使一人ヲ具シテ、 □、聖人ノ可乗キ馬ナド令引メテ、怱テ幡磨ノ國ヘ下ル。 其ノ日晩レテ、攝津ノ國ノ梶原寺ノ僧房ニ宿シヌ。 夜ル、目打チ醒メテ思フニ、 「書寫ノ聖人ハ、年来道心深キ持經者也。 若シ、僻ミテ不参ザラムヲ、強ニ馬ニ抱テ 乗セム事コソ何ナルベキ事ニカ有ラム、 極テ恐レ可有キ事カナト」思ヒ、 臥タルニ、上長押ヨリ 鼠ノ走渡ルニ枕上ニ物ノ掻キ落サレタルヲ見レバ、 紙ノ破也。取テ、火ノ光ニ當テヽ見レバ、 經ノ破ノ落チ給ヘル也ケリ。其ノ文ヲ讀メバ、 法花經ノ陀羅尼品ノ□ニ 「悩乱説法者頭破作七分」ト云フ所許、破レ残リ給ヘリ。 此レヲ見ルニ、「何ゾ 此シモ落チ給ヘルラム」ト思フニ、悲クテ、頭ノ毛太リテ、 怖ロシクテ无端ク思ユ。夜[アケ]ヌレバ、 然リトテハ、仰セヲ承リヌ、只可返キニ非ネバ、 夜ルヲ晝ニ成シテ行テ書寫ノ山ニ登ヌ。 持経者ノ房ニ行テ見レバ、水浄キ谷迫ニ三間ノ萱屋ヲ造リ。 一間ハ晝ル居ル所ナメリ、地火爐ナド塗タリ。 次ノ間ハ寝所ナメリ、薦ヲ懸ケ迴ラカシタリ。 次ノ間ハ普賢ヲ懸奉テ他ノ佛不在サズ、 行道ノ跡、板敷ニ窪ミタリ。 見ルニ、清ク貴キ事无限シ。聖人□ヲ見テ、云ク、 「何事ニ依テ来レル人ゾ」ト。荅テ云ク、 「一院ノ御使ニテ参レル也。其ノ故ハ、月来御悩有テ、 樣々ノ御祈有リト云ヘドモ、其ノ驗无シ。 聖人許コソ憑モシク在マセ。必ズ可参給キ由ヲ奉ハレリ。 若シ不参給ズハ、永ク院ニ不可参ヌ仰セヲ蒙レル也。 譬ヒ、不参ジト思□□フト□我レヲ助ケ□ガ為メニ可参給キ也。 人ヲ徒ニ成□ハ罪有ル事也」ト泣ク許ノ氣色ヲ以□□□。 聖人、「然マデ可有キ事ニモ非ズ。参ラム事、糸安シ。 但シ、『此ノ山ヲ不出ジ』ト佛ニ 申シタル事ナレバ、此ノ由ヲ佛ニ暇申サムト」云テ、 佛ノ御方ニ歩ミ入レバ、□、「此ハ乏テ 迯ナムト為ルナメリ」ト思テ、 郎等共ヲバ房ノ迴リニ居ヘ迴ラカシテ、 「我ガ君、只我レヲ助クルゾト 思シテ参給ヘ」ト云ヘバ、聖人、 佛ノ御前ニ居テ、金ヲ打テ申サク、 「我レ、大魔障ニ 値タリ。 助ケ給ヘ、十羅刹」ト音ヲ擧テ叫テ、 木蓮子ノ念珠ノ砕ク許轢テ、 額ノ破ル許額ヲ突テ、七八度許突キ畢テ、 臥シ丸ビ泣ク事无限シ。 □、此レヲ見テ、思ハク、 「聖人不将参ザラムニ依テ、命ハ不被絶ジ、 流罪ヲコソハ蒙スラメ。 而ルニ、此ノ聖人ヲ強ニ譛テ将参テハ、 現世・後生、吉キ事不有ジ。然レバ、只、 此ノ房ノ當リヲ迯ゲナムト」思テ、 郎等共ヲ招キ取テ、馬ニ乗テ鞭ヲ打テ迯ヌ。 十餘町許坂ヲ下ル間ニ、院ノ下部、文ヲ捧テ會タリ。 取テ、披テ見レバ、 「聖人迎フル事不可有ズ。 御夢ニ不可召ザル由ヲ御覧ジタレバ、仰セ遣ス也。 速ニ可罷返シ」ト被書タリ。 此レヲ見テ、喜ビ思フ事无限シ。愁テ、怱ギ 返リ参テ、梶原寺ノ事ヨリ始テ、聖人ノ房ノ間ノ事、 具ニ申スニ、御夢ヲ 思シ合セテ、極テ恐ヂ給ヒケリ。 其ノ後、京ヨリ上中下ノ道俗、聖人ニ結縁セムガ 為ニ参リ合ヘリ。花山ノ法皇、両度、御幸有リ。 次ノ度ハ、延源阿闍梨ト云フ 極タル繪師ヲ具シ給テ、聖人ノ影像ヲ令寫メ、 亦、聖人ノ最後ノ有樣ヲ 令記メ給ヒケリ。形ヲ寫ス程ニ、地震有ケリ。 法皇、大キニ恐レ給フ。其ノ時ニ、 聖人ノ云ク、「此レ、不可恐給ズ。 此レ、我ガ形ヲ寫セルニ依テ有ル事也。 亦、此レヨリ後ニ形ヲ寫シ畢ラム時ニ亦、可有シ」ト。 既ニ、形ヲ寫シ畢ル時ニ、大キニ地震有リ。 其ノ時ニ、法皇、地ニ下テ聖人ヲ礼拜シテ返ラセ給ヒヌ。 其ノ後、亦、源心座主ト云フ人有リ、□□ノ山ノ僧也。 其ノ人、供奉ト云ヒケル時ヨリ、 書寫ノ聖人ト得意也ケリ。 而ルニ、聖人ノ許ヨリ源心供奉ノ許ニ消息ヲ持来レリ。 開テ見レバ、「年来、佛経ヲ儲ケ奉レリ。 貴房ヲ以テ令供養ムト思ヒツルニ、自然ラ障ツ、 于今不遂ズ。而ルニ、万ヲ闕テ可来給シ、 其ノ願ヲ可遂キ也」ト。源心、此レヲ見テ、 怱テ書寫ノ山ニ行テ、聖人ノ本意ノ如クニ、 佛經ヲ供養シ奉リツ。聖人極テ喜ビ貴ブ。 亦、其□國ノ人、多ク集リ来テ 、此レヲ聞テ貴ブ事无限シ。畢ヌレバ、 樣樣ノ布施共ヲ与フ。 其中ニ、一寸許ノ針ノ□タルヲ紙ニ裹テ加ヘタリ。 源心、此レヲ見□、頗ル不心得ズ思フ、 「針ハ此ノ國ノ物ナレバ令得給フナメリ。 而ルニ、只一ツ□針ヲ令 得給タルガ極テ不心得ズ思ユレバ、 若シ、故有ル事ニヤ有ラム。 サハレ、此ノ事問ヒ奉リテム。 若シ可聞キ事ニテ有ラムニ、 不聞ザラム 後ノ悔ヒ有ナム」ト思テ、 源心暇乞テ出ヅトテ、聖人ニ申サク、 「此ノ針ヲ給タルハ、何ニ依テゾ」ト。 聖人荅テ云ク、 「此レ、定メテ、恠シク思給ツラム。此ノ針ハ、 母ノ胎ヨリ生レ出ケル時ニ、左ノ手ニ捲テ生レタリケルヲ、 母ノ如此ク申テ令得メタリシ也。 其レヲ年来持テ侍ツルヲ、 徒ニ弃テムモ□ニ思エテ奉ル也」 ト云フヲ聞クニゾ、 「吉クコソ問ヒ聞テケレ不聞ズシテ止ミナマシカバ、 聖人ノ一生ハ不知ザラマシ」ト 喜テ、返ルニ、攝津ノ國ノ程ニテ、人追テ来テ云ク、 「聖人ハ失給ニキ」ト告グ。 長保四年ト云フ年ノ三月□日ノ事也ケリ。 兼テ死ノ期ヲ知テ、如此ク有ケル也ケリ。 死ヌル時ニハ、室ニ入テ、 静ニ法花經ヲ誦シテゾ入滅シケル。 後ニ、源心供奉ノ云ヒケルハ、 「世ニ法ヲ説クベキ僧多シト云ヘドモ、 聖人、我レヲシモ最後ノ講師ニ呼ビタルヲナム、 我ガ後世ハ憑モシト思エテ、 前ノ世何ナル契ヲ成シタリケルニヤ有リケムト思ユル也」トゾ、 座主ハ常ニ語ケルトナム語リ傳ヘタルトヤ。








2015年7月27日月曜日

台風12号の、、ホワイトプリーツスカート ひらり

台風は去ったけど、、
今日は降ったり止んだりね。。。
合間でお買い物に。。。
ちょっと小雨だったけど、、まあまあね。

昨日は風も爽やかで晴れてたけど、、
体調が、、、欠伸だけで、、
結局お買い物に出掛けなかったから。。

気分転換で
好きなホワイトのプリーツスカートで
出掛けたわ。
トップスは、花柄のキャミタイプね。
ちょっと光沢があるのだけれど
質感が出ないわ。

書店の店長さんが「可愛い!」って。。




2015年7月26日日曜日

懐かしい、、、

ちょっとBDのセーブやってたら

懐かしいのが出てきたわ。

爽やかで気持ちよさそう、、、

霧島市内のサイクリングね。

またお散歩したいわ。

  
◎河川敷の橋の上
  霧島や桜島が綺麗よ

◎市内
  山形屋ストアー付近

◎こが杜
  平家物語「足摺」にも登場する史跡



台風12号の余波で涼しいわ

台風は甑島の西方を
通過したようね。
おかげで涼風が、、、
爽やかな日より、、
つい、また睡魔が。。
午後3時前から夕方5時まで
お昼寝タイムとなったわ。。

結局どこにも出かけず何もせず。。




台風12号、お昼頃接近

台風が接近中ね。
昨夜は窓を全部閉めて就寝したけど
そう暑く感じなかったわ。。
案外、ぐっすり眠ったのかしら。。。

台風は、お昼頃、東シナ海を北上するようね。
風雨が強まるのはこれからね。
明るいうちだからそう心配はしてないわ。

7時、花火が揚がったわ。。
そう言えば、昨日も、夜は花火が連続で揚がってたわ。。
近くの工場の夏祭りかしら?


昨夜、テレビで、東北の「鳥海山」の登山をやってたわ。
ヤングの頃、朝日・飯豊連峰の縦走をやった頃
今度はこの鳥海山を予定してたのだけれど、、
・・・・・・
平成になって判明した難病が
、この頃から頭をもたげて、、
体調の管理が測れなくなってたわ。。
結局、足が遠のいて、
行き慣れた北アルプスばかりに
なってしまったけど、、、

東北の修験の山、
周辺の隠れ念仏のお堂も一緒に
巡拝したいと思ってるけど、、、
いつになるのやら。。。。

今朝もラジオ体操はやったけど、、、
最近、公園を全く歩いてないわね。
ちょっと身体を慣らして
霧島登山に備えなきゃ。。。


2015年7月25日土曜日

途中で寝てしまった高校野球決勝戦

午後から、決勝戦が始まったわ。
鹿児島城西と鹿実

早々と2回に山が、、
鹿実が3点、その後城西が2点
面白くなってきたところなのに、、、欠伸が、、

睡魔には勝てず、、、、お昼寝へ。。
3時半目が覚めたら、、、、
ちょうど終わったところだったわ。

結局、鹿実が甲子園へ。。。

実は、台風の余波で風があるかと思いきや
部屋の中は熱帯よ。
扇風機は空回り、、、

観戦の途中で、余りの暑さに
躰を冷水で拭いて、、、
そしたら、気持ち良くなって、、、
眠っちゃったわ。。。

今午後4時過ぎ、
頭すっきりしてキーを打ってるわ。

これから、今度は大相撲ね。。

★今朝、オープンと同時にお買い物に。
外は台風の余波の強風が、、、
でも自宅には届かず、、、
部屋は暑かったわ。。


2015年7月24日金曜日

台風12号

どうやら、明日お昼、
奄美大島直撃らしいわ。

其の後
東シナ海を北上コースね。
当地が影響を受けるのは
明後日のようね。

来週は、霧島に登りたいわ。
水曜日辺りかしら。。
お天気次第ね。




土用の、、、

今朝も朝早く出かけたわ。
いつもの河川敷で山々を眺めて撮影し
鹿児島神宮に向かったわ。
下の歴史資料館に立ち寄って八幡様へ。
久々に一時間程雑談をして、、、
さてどうしようかと躊躇しながら
道を市役所へ。
ここでも雑談をして帰途に。
途中の百均に立ち寄って2,3買い物を。

今日は土用の鰻ね。
実は昨日だったかしら、、
今年は思いの外安いらしいの。
そこで、コンビニで買い求め
帰宅し躰を冷水で拭いて
ゆったりして、鰻を頂いたわ。
久々に頂いたら美味しかったわ。

それにしても暑いわ。
部屋は熱帯ね。
昨日は結構風があってそう暑いとは
感じなかったけど、、、今日は別格ね。
全く風が無いから、、
扇風機では。。。
相撲を見ながら、アイスノンを頭に。。

また、台風が北上中ね。
週末、影響が出るようね。
通過したら、そろそろ霧島に登りたいわ。
来週、バスの周遊券を買わなきゃ。。





2015年7月23日木曜日

やっと雨が止んで青空が、

今日は母の月命日よ。
今月はず~と雨で外出できなかったから
なんか早く来たような感じね。。

いつもの露天風呂で見上げた空には
雨雲が取れて、、、青空が。。。

温泉から帰宅してお墓参りしたわ。
事前に藪蚊対策したおかげで
射されなくて良かったわ。

帰宅して、お昼前、歴史資料館へ。
途中の公園で、落し物を拾って
近くの交番へ届けて、、、

お昼をその公園で頂いて、
近くの歴史資料館へ。
一時間程、雑談をして帰途に。
途中、スーパーでお買い物をし
午後5時前には帰宅したわ。

深夜から起きてるけど
そう疲労感はないわね。



2015年7月22日水曜日

夜半豪雨、お昼青空が、、プリーツスカート爽やか

梅雨明けになって、よく降る雨だわ。
夜半は決まって豪雨ね。

お昼前、青空が覗いたので
お買い物に出かけたわ。

いつもの河川敷公園
山々は雨雲にすっぽり覆われて
河川は氾濫の一歩手前ね、、、
轟々と流れてるわ。

気分転換で
今日は、イエローのミニスカートよ。
橋の上は思ったほど風が無いの。
汗が流れるわ。。

帰宅して身体を冷水で拭いて、
今日も、史資料を読んでるけど
なかなか捗らないわ。。

お天気になったら、
近場の寺社を探訪したいけど、、
今週は無理かしら。。






2015年7月21日火曜日

鳥も通わね、、、

このところの雨は凄いわね。
何十年に一度という豪雨よ。
「戻り梅雨」にしては、、、
土砂崩れや農作物への被害は甚大ね。

今日もどこにも出かけられないので
史資料を読んでると、、

古代においては
南九州は
都(奈良や京都)からは鳥も通わぬ僻地ね。

政権抗争に巻き込まれ左遷された
天皇系や公家方、
それに高僧らが当地に流刑されてるわね。

有名なところでは、和気清麻呂

平家物語に登場する「俊寛僧都」

先日参拝した、
旧大隅正八幡宮(現在の鹿児島神宮)
社家として下向した
川原左大臣の澤家

霧島神宮の社家として下向した藤原篤如

福山町の宮浦宮(旧宮浦神社)
源三位頼政の裔孫兵庫太郎宗綱ら
。。。


ある程度、
下向の足跡が辿れる氏族はいいけど、
田尾原や稲尾崎の石塔群の建立に
関連したお姫様たちは、
全く動向が読めないわ。

それこそ波乱万丈の人生が
垣間見られる程度ね。

中世から南北朝期に於いては
中央からの文化や伝統等
今でいう「文化財的」資産も
多数伝播してるのだけれど
明治初年の廃仏毀釈で
壊滅しているのは嘆かわしいわ。。

★南北朝時代に隆盛を極めた
「薩南学派」の母体寺院址




2015年7月20日月曜日

土砂降り、、、7月のお祭りは、、、

今朝は、土砂降りよ。
いつもなら、週明けの露天風呂だけど、、、
なぜか、今日は気が進まないわ。。
こんな時は控えた方が宜しいようね。
なまじっか出掛けて、、、
転んで怪我でもしたら、、、

大人しく、
溜まった録画のダビングに
勤しんでいるわ。。。
毎週、結構ダビングしてるけど、、
スペースがすぐ一杯になるわ。。

7月といえば、、
宮崎方面にお祭りがあるわね。

以前、父と出かけたかったお祭りが、、
でも肝心の父がデーサービスの入浴で
発熱して、、、
そのまま入院したのよね。

そのお祭りは、
牛がバーを飛び越えて
その年の豊作を占うのよ。

きゃ~きゃ~言って喜ぶと
思ってたけど、、、
結局、一緒に見物には行けなかったわ。

7月28日、久々に出かけてみようかしら。。
午前中で終わるから、
午後はまた近くの古墳でも探訪したいわ。。
それにはやはりマウンテンバイク持参カナ。。。



2015年7月19日日曜日

おぎおんさ~

今日は、
鹿児島市の「祇園祭」だったわ。
父が元気な頃、
何度か見物したわ。
懐かしさが込み上げる、、、

今年はなぜか、
お祭り見物の意欲が湧かないわ。
ちょっとこのところ
身体が重たいのよね。
夏風邪かしら、、、
一応、頂いている風邪薬を
服用してるけど、、、
効果が出て無いわ。

食事はなんとか進んでるから
今夜は早目に休みましょうか。








遠路はるばる来鹿されたけど、、、戻り梅雨

昨日、午後2時過ぎ会えました。
待ち合わせの蛭児神社に12時に到着された
そうだけど、、、
私の電話ファックス機の不具合で
受信状態が判らなかったわ。
電源を入れるとなぜかファックススキュナーの
お掃除を始めて止まらないのよ。。
受信も確認できず、、、

昨日、ブログアップして再度メール見たら
届いていたの。
電話では繋がらないと
大分の御子さんに電話され
そこからメール通知されたのね。

本当にご迷惑をお掛けし
恐縮してるわ。。

午後2時から雨模様で
結局ガイドは断念して
遅いお昼で談笑して
お別れしたけど、、、

無事お帰りになれたかしら。。

今朝もどんよりした空模様。
数日前に梅雨明けしたのに
戻り梅雨ね。。

今週はすっきりしないみたいね。



2015年7月18日土曜日

待ち人、、、会えず、、

今日、大分から、
ネットでのお知り合いが
来鹿されるとのことで、、、
お待ちしてたけど、、、
連絡がつかないの。。

メールは戻ってくるし、、
電話は鳴らないし、、、

さっき、メールがあって、、
どうもお子さんらしいわ。
電話を繋いでそれでメールポストされたのね。

もう1時間待たれたとか。。。
他へ廻るとか。。
仕方ないわね。。

お土産用意してたのだけれど、、
残念ね。








2015年7月17日金曜日

台風一過、久々の青空、公園へ

台風は四国へ上陸し岡山を通過したようね。
おかげで青空が広がったわ。

久々に河川敷公園へ。
なんとま~、、先月の6日以来のリハよ。

流石にちょっと気怠かったわ。
でもやはり気持ち好いわね。
台風の風もあったので幾分爽やかだったわ。

桜島も霧島連山も澄み渡って綺麗だったわ。




2015年7月16日木曜日

朝一番の露天風呂

一番乗りだったわ。
露天風呂から見上げた空は
半分青空、半分鉛色、、
台風が四国方面を狙ってるわね。。
ご用心下さい。

入浴したけどちょっと倦怠気味ね。
今週は睡眠不足が続いてるのか
欠伸も多いわ。

どうもしゃきっとしないわ。
このところ公園でのリハを
さぼりぎみだからしら。。余計ね。。


このだるさが取れたら
午後から外出しようかしら。。

★珍しい桜島の嵩雲






歴史探訪、、、初心に戻って

難病を患って
数回死線を彷徨って、、

帰郷して、
氏神様の謎解き

歴史探訪も一巡りしたわ。

そこで、初心に戻って
最初に購入した
「国分諸古記」
を見直しているわ。

探訪当初、見放された難病の一つを
一昨年、手術したわ。
それだけ医学が進歩した証ね。

では、歴史探訪の世界はどうか。。
これがなかなかね。。
進展しないわ。。

取り巻く道具の環境は目まぐるしいわ。

◎車載電話(腰巻きバッテリー)
◎ビデオカメラ(腰巻バッテリー)
◎携帯型のGPS
◎PDA(GPS付)

を持参してのサイクリング探訪だったけど
最近では、電話に全ての機能が搭載されたわ。

パソコンの容量も目まぐるしいわね。
それに、立体的な彫像まで再現できる3Dプリンター
遺物らの再現には威力を発揮するわ。

これらの道具を如何に活用するか。。。

要望は、google_mapで昔のお城や町並みを
立体的に落とせると嬉しい限り。。


図書館で古文書のコピーをして貰って
福山町郷土誌を購入したわ。
3500円は少々お高いけど
長年のご褒美ね。

この書籍には、鹿児島神宮関係
当初購入した隼人町郷土誌より
判り易く整理されているのよ。

それと、今春、調べていた
「島津義久の三姉妹」
の次女於玉様の
垂水島津家の初代・忠将
戦死した処でもあるの。
その繋がりで購入を。。









2015年7月15日水曜日

歴史探訪のきっかけは。。。

私が歴史探訪を始めた契機は
氏神様の呼び名の妙だったわ

先ず図書館で閲覧していたのだけれど、、
これがなかなか見当たらないのよ。

郷土の歴史関連には、数行。。
全く見当たらないのも。。。

そこで、ご紹介頂いた
高価な資料データーの書籍
買い求めたわ。
それには、
江戸時代の寺社のリストが
あったの。。

先ず、氏神様のページを読んだのは
云うまでもないわ。

その寺社のリストをコピーして
探訪のお伴となったわ。
リストの神社が現存すると
なにか妙に嬉しさが込み上げたわ。
それから、歴史探訪に拍車がかかったわ。

そして、初めて購入した書籍は座右の書となったわ。
有る日、ページをめくっていたら

その座右の書にこんな記載を


◎古墳について


・・・・・・・・
外姫城の内へ
古来より松元と唱し門名頭屋敷二
古墳茂有之被糺呉候得共
左之申出何そ可及験問事
無之申充当分ハ

・・・・・・・・

==== 古記 155 ====


◎同級生の御先祖様


慶長十年乙巳(1605)
平田越前の事ハ 平田太郎左衛門事二而候 蒙御勘気鹿児島居住不罷成 夫*國分宮内正八幡敷地 沢右近兵衛ヲ頼籠移筈候処二 平田之一族御誅罰二付 越前事ハ宮内二而切腹也 五十嵐長左衛門事ハ 平田越前二相付宮内二居住仕居候処二 越前切腹被仰付 同年曽於郡内松永江■■居之由 ==== 止上神社文書p67 ====

ここに出て来る「五十嵐長左衛門」は
中学生の同級生の御先祖様では??

そこで、恩師の歴史家の先生にお尋ねしたら。。

●古墳
 ====>>何も出ないから古墳では無い

  遠くからみたら前方後円墳の形態だが
  なんとか写真を撮っておけば良かったけど。。

●同級生の御先祖様

  ===>>写し書き間違いと........


一笑に伏されたわ




当時は、父の在宅介護中、
探訪に出かけるのは
父のデーサービスの利用時間帯の
午前9時から午後4時。

でも、何回も早朝発や遅い帰宅で、、、
時々は、父にはお泊りして貰って
遠出の探訪も。。。

父には寂しい思いをさせたわ。


それなら父同伴で歴史探訪をと
始めたのが、九州各地の
お祭り見物だったわ。

新しい世紀になった頃から
思えば、良く出かけたものね。

歴史探訪やお祭り見物も
早いもので
歳月が一巡りしたわ。

探訪して、座右の書の正確さには
驚いているわ。
そして当時の人々の
質素でつつましやかな
信仰心に満ちた生活に
おもいを馳せてるわ。


いつも楽しかった父との珍道中も
今は一人、、、
何か気抜けの状態が続いていたけど、、、

今年はその父の七回忌
それに探訪当初、
懇意にご教示を仰いだ神主さんの
15回忌だわ。


今春、心新たに初心に戻って
近くの史跡を歩いているわ。

幾つか収穫があったわ。

◎即身成仏された御上人様巡拝
弘法大師・高野山開廟1200年に合わせて
地元の3か所の廟を巡ったわ。

◎若尊神社参詣
台風らで崩壊していた海岸沿いの遊歩道
整備されたと聞いて久しいので出かけたわ。

◎戦国時代のお姫様を訪ねて。。
島津義久の三姉妹を。。


◎光源氏の河原左大臣の末裔が祭祀する氏神様
現在は近くの新町に鎮座しているけど
下向当初の故地「河俣庄」の鎮座地を。。


探訪当初の頃とは
比べものにならない程
史資料も手元に揃ったわ。

健康に留意して謎解きを。。
これからも史料と睨めっこの
楽しい探訪が続くわ。

★12年春、薩摩国分寺探訪









満天の星空カナ・・・・

3時に起床
窓を開けたら星空、、、
なんか、、、久々だわ~~
風もひんやりしてるわ。

就寝前に窓を全開して
流石に今朝方、ちょっと毛布を被ったわ。。


昔、初めて槍ヶ岳に登った時、
殺生ヒュッテの下でビバークしたわ。
一人で寒くてなかなか寝付けなかったわ。。
あの時の満天の星空は鮮明に焼き付いてるわ。。


あれから、オールラウンドで入ったけど、、
やはり、初めての高山は、、、忘れられないわ。


★天と地の差
こちらは、江戸時代の金山・坑道の中
現在は酒造蔵



2015年7月14日火曜日

久々の日ノ出と青空、いつもの病院へ

何日ぶりかしら、、、
久々の朝日と青空ね。

いつものパターンでお昼前病院へ。
そして図書館に立ち寄って
前回お願いしていたコピーを頂いて
午後1時半頃帰宅したわ。

暑かったわ~~
もう酷暑ね。。。
台風がきて涼しくなって
また一気に秋の訪れかしら。。。

図書館のある市役所では
今度の夏祭りの準備中だったわ。。

ちょっと睡眠不足で
今日は一日倦怠でボ~としてたわ。

実は、朝の温泉に出かけたら、、
まあ、工事中だったわ。
そういえば、入り口に貼り紙あったわね。
うっかり。。

出だしからこんな感じで一日が終わったわ。

やっと、庭木の植栽をお願いしたわ。
たっぷり一日かかるそうよ。

おニューのホワイトのフレアスカートよ。
流行りの透け生地よ。
青空が綺麗ね。。本当に久々ね。



2015年7月13日月曜日

小雨に煙る金山巡り

雨で外出も出来ないので
地元の歴史研究会の見学会に
参加した時のビデオを編集してアップしたわ。


県下の金山巡りよ。
小雨に煙る史跡探訪も乙なものね。
春の息吹を感じたわ。

霧島市横川町の
山ケ野と永野金山址
を見学して
次の金山の串木野へ。

途中の宮之城では

文弥節人形浄瑠璃
宮之城島津墓地
を見学したわ。

串木野の金山で
昼食を頂いて
トロッコで坑道へ。
汗と結晶の採掘現場を見たわ。
帰宅は午後6時頃だったわ。

小雨だったけど、楽しい旅行だったわ。

山ケ野金山は、現在でも採掘してるのよ。
世界一の純度らしいわ。

串木野金山址見学


★文弥節人形浄瑠璃


2015年7月11日土曜日

臥薪嘗胆から魔法使いサリー

驚きの連続ね。。
幅が広いわ~~

アンジュルム





ふ、ふ、お勉強の時間ね。。

先日、あるサイトで、ブログね。
そうそう、昨年、当地の「平家物語の世界」をご案内した方のブログね。

そこで、いちき串木野市の「徐福」について話してたの。
つい、懐かしくてコメントしたわ。。


中国から、徐福渡来図の伝達式が市役所であるからどうですか
とお誘いを受けて出かけて行ったのよ。。
もうあれから歳月が一巡りしたわ。。
早いわね。。

それで懐かしさが込み上げて、、、、
初心に戻って、昔作成したページを読み返していた矢先ね。

フォローしてるアイドルグループの「アンジュルム
まさかね。。。
徐福が記載されている古書の「史記」
それにも登場する「臥薪嘗胆」が飛び込んでこようとは、、
夢にも思わなかったわ。。





2015年7月9日木曜日

旧神社跡探訪すれど

いや~暑かったわね。
朝、室内は30度を越してるわ。

今日は、氏神様の件で。。
今の神社は稲荷様だけど
旧名は、平家物語にも登場する「妙見社」
明治の合祀令で、幾つかの集落のを
合祀してるのよ。

先日、川原左大臣の末裔の氏神様の旧社地が
判ったので、勢いに乗って出かけたけど、、

一昔前探訪した後、
裏山(比売之城)の崩落が激しく
山側にあった集落の墓地も
線路のこちら側へ移ってたわ。
当然、幾つか、住宅もあったけど
それも既に廃屋で取り壊されていたわ。

また、旧社地の辺りは藪が深くて
近くの耕作地も荒れ放題。。。
これでは探しようが無いわね。
また、木枯らしが吹き出す冬迄
待たないと駄目ね。

諦めて先日、参拝した神社跡へ。
持参したGPSのPDA
慌てて持ち出したため、設定が、、、
また、昼間の明るいところでは見えないの。
GPSの位置情報の確認でもと思ったけど、、、
このPDAは一昔前から重宝したのよ。
特に父との同行二人では、お世話になったもの。
データーもぎっしり詰まってるわ。

今、GPSの設定を終えて充電してるわ。
また利用できると嬉しいけど。。


実はね。
時々伺うショップで一同嘲笑してるのよ。
「お顔が真黒よ」って。。
鏡を見たら、アイシャドーが汗で落ちて、、
持参したウェットティッシュやお化粧道具で
整えたわ。。
夏用の化粧品を使わなきゃだめね。

それにしても暑かったわ。
汗でびしょ濡れで、帰宅して
全部お洗濯よ。


2015年7月7日火曜日

光源氏のモデル川原左大臣の末裔が。。。


pin.gif

源朝臣沢系図(断簡)

源朝臣澤系図

幕紋五笹也

神奈天皇 正ニ位 川原左大臣
信
 母廣井氏
 今上天皇以弘仁五年甲午
 勅旨賜姓源朝臣姓
 
中納言

 承和九年●●八月賜諭旨
 補大隅國●●正八幡法橋職

 下向大隅河俣荘ニ着
 祭北斗為氏社
 号北山大明神

 後 遷住桑西郷
 号澤云々
 
 ==== 桑幡家文書 ====



これは、地元の鹿児島神宮の社家だった「桑幡家」に残ってる古文書よ。

地元の神社探訪を始めた頃、近くの新町集落に鎮座する
「北山神社」を参拝したのよ。

由緒を見たら、ご祭神が違うのよ。
どうもこの文書のこの事項が判らなかったみたいね。

今春、図書館でなにげに郷土史を開いていたら
この北山神社の元遷座地があるらしいのよ。
それも第二次大戦後も祭祀されてた節があるの。

ちょっとひかっかってたの。
今日、久々に雨が揚がったので、
図書館に出かけたついでにここも探訪したわ。

国分重久の、バス停名「河畑」にそれは鎮座しているとあったの。
バス停前のドラッグストアーやお隣のショップで
お尋ねしたけど判らなかったわ。

仕方ないのであてずっぽうで、、、
ぐるぐる廻っていたら、ご年配の方に。。
あるいわとお尋ねしたら

「そうそう、明治の頃、確かにあったわ。
祭祀している方が亡くなったから、あるかどうか」

と、一応場所を教えて頂いたのでそこへ。

あったわ。小さな赤い祠ね。
標号には「北山神社」と。。。
嬉しさがこみあげたわ。

でも、、藪蚊が凄いの。
さっき、スプレーを吹き掛けたのに、、効かないの。。
参ったわ。あちこち痒くて早々に退散したわ。
今度は、石碑の拓本を採らなきゃ。。
そうすれば、新町の現在地へ遷座した年号が判るかも。。

その後、重久のショップ巡りして
お昼の「ちらし寿司」を買い求めて帰宅は午後1時だったわ。








やられた!! 伏兵あり~~

予報通り、雨も揚がったわ。
朝7時から、溜まったお洗濯物を。
朝は、庭に藪蚊が居るので
先日購入した
「虫刺され予防」のスプレーを身体に。。

よし、いいわ。。
雨で濡れている竹竿を拭き始めたら、、
ちく~~、、と激痛が
何か棘が刺さったような感じ。。
眼をこらしてみたら、、
なんと、毛虫よ。
青い2㎝程度の毛虫、背中に棘が。。
それにもろに触ったみたいね。

水道水で流して
病院で頂いている抗生剤入りの塗り薬を。

暫くすると痛さが取れたので
お洗濯ものを干したわ。。


歴史探訪やお墓参り時に
よく藪蚊に刺されるの。
常備のガードスプレーを入れてるけど。。


今朝は遣られたわね。
喜びにも落とし穴が。。
ぬか喜び。。。
まさか伏兵が控えていたとは。。

注意してお過ごしをと
警鐘でしょうか。

★戦国時代の武将の墓所参拝
山田越前入道理安(国分向花霊園)

連日連夜の合戦、
伏兵にも目を配って、、
心休まる日があったのでしょうか。
当時の武将は、懐に小さな木像佛を。。
生死を分ける戦場。
「平穏無事」「極楽往生」を祈願しての
ことでしょう。



2015年7月6日月曜日

霧島・硫黄山で火山性地震多発

午後4時のニュースによると
今年、登山規制が解かれた
霧島、えびの高原、
韓国岳登山口にある硫黄山が
また、火山性地震が多発しています。


登山禁止は出ていないようですが
入山者は、火山性ガス、噴気、地震ら
十分注意され入山して下さい。

明日、明後日と
梅雨の中休みで晴れそうなので
韓国岳登山をと計画してますが
ちょっと無理でしょうか。

★15年5月13日 韓国岳




明治・近代化文明遺産、仙巌園

明治以降の近代化文明遺産が
各地合体で認知されたわ。
登録されるのはいいけど、、
今後の保存維持が課題よ。。
緊縮財政難でどうなることやら。。

鹿児島は、磯公園周りの遺産が認知されたわ。
このところ行ってないわね。

「維新公自伝日記」もほしいから
雨が揚がったら出掛けようかしら。





2015年7月5日日曜日

長梅雨には、読書家ビデオ鑑賞ね。初代神武天皇と彼岸花、ホワイトプリーツスカート ひらり

良く降るわね。
全く、お出かけできないわ。
そう言えば、昨年もこんな感じで
春は短くて、おまけに雨で夏が無かったわね。
この分だと今年もね~~・・

お隣、垂水市では、また崩落して土石流が。。
大変ね。
あの牛根辺りは、昔の火山噴火の灰が堆積してるから
水分を含むと脆いのよね。。

ここの裏山だって以前崩落して大変だったわ。


昨日から今日は、同じく古文書ね。

隼人の墳墓  って、少ないのよ。
近くにこんな処があったみたいよ
江戸時代の文書に出て来るわ。



外姫城の内へ
古来より松元と唱し門名頭屋敷二
古墳茂有之被糺呉候得共
左之申出何そ可及験問事
無之申充当分ハ

・・・・・・・・

==== 古記 155 ====





平成の初め頃は、何か所か
円墳らしき場所があってね。

そこは、古来より墓所として
伝承されているの。
中には、そこを整地しようとしたら
家族や親類に不幸があって、、
「すわ~祟りだ」って
そこで辛うじて残ってるの。
その一つがここね。







これは、現在、国分郊外の青葉小学校の西方にあるわ。
720年頃の隼人抗戦で散った朝廷側の墳墓だろうと
推察されてるわ。
「祟りがあるから」未調査らしいわ。

他にも数箇所あったけど、
全部整地されて残って無いの。
残念ね。


★古墳に咲く彼岸花
お隣宮崎の高原町にある
初代神武天皇住まわれた場所にある
円墳ね。かなりあるわよ。



2015年7月3日金曜日

初心に戻って「吾妻鏡」を読んでるわ。島津藩と諏訪神社

今朝も一時から史資料を読んでるわ。
激痛は無かったけど眠れなくて起き出したの。

ちょっと気がかりなことがあるのよね。。
歴史探訪を始めた頃
購入した「吾妻鑑」の文庫本を読んでるの。

地元の氏神様の呼び名の謎の追求から
始まった寺社探訪だけど、、、

当地には、なぜか、諏訪神社 が多いのよ。
そこで調べていたら、、、
島津藩の初代に関係があることが判ったの。

島津藩の始祖「忠久」
鎌倉幕府の創立者源頼朝の御落胤説があるの。

その根拠を、この頃の、「吾妻鏡」や「太平記」に
求めたの。。

島津忠久惟宗は、青年期、
源義経が逃避した東北へ遠征してるの。
その時の知行地が、なんと諏訪地方なのよ。

諏訪と言えば諏訪大社
ここに戦勝祈願をして大勝したのね。
その武運に肖って

余談ながら、
島津藩の氏神様は「稲荷なのよ。
伝承が残ってるのね。



2015年7月2日木曜日

どこかに、、、史資料を読んでいたら

このところ「戦国武将」にはまって、、

そういえば、昔、あるページに同級生の御先祖様が、、
なぜか、その資料に親近感を感じたものだったわ。

どこだったかしら、、、、

夕食後から、探し回ってたけど、、、
見つからないのよ。
確か、鹿児島神宮澤家預けだったわ。。と
関連を手当たり次第に。。。

あら、あら、、、お腹がなってるわ。。。

時計を見たら、24時を過ぎてるじゃないの。
なんと、もう深夜よ。

諦めて、御餅をやココアを頂いて、、
ちょっと落ち着いたので、、

どこかのページに記載してたかしら、、
と今度は最寄り頁を。。

あったわ。なんとま、先日、見た、
戦国時代の家老「伊集院抱節久治」のページに。
どこかにあったとは思ってたけど、、
ちゃんと出典を明記してたわ。。

ほっと安堵して、就寝したわ。

この項目ね。

===========

  • それは、朝鮮出兵・慶長の役(慶長2年1597) の後、慶長10年の事件だ
  • 同じく島津義久の家老を務めた平田増宗が 不臣として誅されている。
  • それが、当地の沢右近兵衛預かりとなって 宮内で切腹している。
  • その近習の五十嵐長左エ門は 松永へ居住替えとなった。(止上神社文書p67)
  • この家系は断絶したが 別系では、宝暦年間(1754-1755)、 木曽川治水工事の総指揮をとり 苦難の末竣工させた家老平田靱負が居る。
============

これから、この関連を調べるわ。
澤家の古文書も確か印刷して頂いたから、、




2015年7月1日水曜日

深夜、また激痛、外は豪雨

午前1時過ぎ、
また激痛で飛び起きたわ。

いつもの腰痛より激しい右耳の痛さ。
起き出して、以前、病院で頂いた
抗生剤入りの塗り薬を綿棒で。。
ついでに腰の湿布も張り替えたわ。

暫くはズキズキして眠れなかったけど
いつしか眠ったようね。
起きたのは午前7時前。
痛さは治まったわ。


朝食を頂いて、、
外は豪雨よ。激しく屋根を叩いているわ。

このところ懸念している
横川に鎮座の岩堂観音磨崖佛
そこに相良藩の逆修墓があるのよ。

相良藩と言えば、お隣、熊本県の人吉よ。
そこで、気になって、父とお泊りの人吉探訪に。
あれから一巡りして、、、
謎解きを始めたわ。。

そこで、さっき、史資料のご教示を仰ごうと
メールを人吉市に送ったわ。

また、鹿屋市の吾平山稜にも参拝したいと
前々から希望しているの。
こちらにも同じようにポストを。

史料が届いたら、それを片手に探訪したいわ。